菅原道真 博多ラーメン めんたいこ
古代の豪族土師氏の出身である道真公は、
清公公、是善公と続く文章博士(もんじょうはかせ)の
家系に生まれました。
母は少納言伴氏の出身で、
幼い頃から神童と呼ばれる程の才能の持ち主でした。
33歳の時には式部少輔、文章博士となり、
学者として最高の栄進を続けました。
55歳の時には右大臣、延喜元年には藤原時平と共に
従ニ位に叙せられますが、すぐに大宰府に左遷となりました。
延喜3年、大宰府にて病により死去。
その後、
道真公に罪なきことが判明し、道真公は神の御位に昇られ、
学問や文化の神とされ、現代でも人々の厚い信仰を集めています。
博多のラーメンといえば、
やはりとんこつ味が多いようです。
白濁したとんこつスープの作り方は、
お店によって違いますが、とんこつ(ブタの大腿骨)と
にんにく、たまねぎを使って作ることが多いようです。
骨髄を加熱することによって、中のコラーゲンが溶けだし、
ゼラチン質を形成し、これが乳化剤となり白濁するそうです。
元々は朝鮮で塩漬けのたらこに
唐辛子をまぶして食べていたものをヒントに、
1995年西川金座衛門氏が北海道産の塩たらこに
九州風の味つけをして売り出したのが
始まりとされているようです。
原料はスケトウダラの卵です。
はかたもん どんたく 祇園太鼓祭
仁治2年(1241年)、この年に流行っていた疫病を鎮めるために
承天寺の聖一国師という僧が施餓鬼棚に乗り、市内を回ったのが
起源とされています。
天正15年(1587年)に、
豊臣秀吉が激しい戦火に遭った博多の復興に着手しました。
「博多町割り」と呼ばれる都市計画を実施し、
この時から博多松囃子・山笠を運営する
「流」の原型が出来あがりました。
その起源は「博多松囃子」だと言われています。
平安時代に京都御所の宮中参賀の行事が各地に広がり、
博多ではお正月の15日に松囃子が行われるように
なったのです。
「どんたく」はオランダ語で「休日」を意味する
「Zondag」が起源だと言われています。
昭和21年にそれまで禁止されていた、「松囃子」と
「どんたく」が8年ぶりに復活しました。
紙で作った肩衣をまとい、
三味線や太鼓を被害のなかったところから借り集め、
博多どんたくのお囃子を響かせながら瓦礫の町を練り歩き、
復興のへの希望と勇気を与えました。
祇園太鼓は小倉の各地で行われる勇壮なお祭りです。
関が原の戦いの功績により、
大名に任ぜられた細川忠興公が慶長7年(1602年)、
小倉城の築城に着手、
元和3年(1617年)に城下町の繁栄のために
領内の総鎮主たる「祇園社」を創立し、
その翌年から祭りが始まったと言われています。
映画「無法松の一生」でも有名になりました。
関サバ 関アジ びわ
主に豊予海峡の中央の高島から佐田岬までの間で
育ったたもので、中でも一本釣りをされ関港に水揚げたものが
純正の関サバと呼ばれるそうで、魚の中でも最高のブランド
です。
太平洋と瀬戸内海の戸口にあた急流の中で育ったために、
身が引き締まり、脂が乗り、味の良さは他に例を見ません。
さらに関サバはアレルギーを起こすことがまずないそうです。
関サバと同じあたりで育ち、
一本釣りによって関港で水揚げされた
アジの総称です。
旬は6〜8月頃で、冬場の関アジも脂が乗っておいしいそうです。
びわはバラ科の常緑高木です。
その実にはセキを止めたり、胃の働きを整える等の効果があり、
種子や葉には、ガンの抑制やリュウマチ、
高血圧などに効くアミグダリンが含まれていることで注目を集めています。
長崎県のびわの生産量は日本一で、
全国に出まわるびわの約70%が長崎産だそうです。
出荷時期は、ハウス栽培のものが2〜5月頃、露地ものは5〜6月頃です。
びわは開花時期が12〜2月という珍しい果物のため、
幼果が寒さにやられてしまうことも多いため、他の果物に比べ、出荷量が少ない貴重な果物です。
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