中華街 | 赤い靴 | サイとタマ |
1859年に横浜の港が開かれた頃、 今の中華街は「横浜新田」と呼ばれていたそうです。 もともとは外国人居留地が発展したもので、 安政4年にペリー提督が浦賀来訪の折に、 横浜を貿易港に定めたのが始まりとされています。 横浜の中華街は世界でも最大級の規模を誇り、現在、 100軒近いお店が軒を連ねています。 |
野口雨情作の「赤い靴」 物悲しいメロディの曲ですが、 この曲にまつわるお話はやはり悲しいもので、一説によると、 このお話は明治後期のお話で、当時、 注目を集めていた北海道開拓地に行った一家がおり、 そこでの生活があまりに厳しいため、 3歳だった子供をアメリカ人の宣教師夫妻に養女として託しました。 その数年後、宣教師夫妻はアメリカに帰ることになり、 その話を聞いた野口雨情が歌にしたそうですが 、実はその子供は渡米前に結核にかかり アメリカには渡らないまま、その幼い命を終えたそうです。 |
ただのダジャレです…(^^; |
菜の花 | いちご | 金太郎 |
菜の花は千葉県の県花です。 別名を「アブラナ」といい、その種子から菜種油を採ります。 油の搾りカスは肥料にも使われました。 おひたしや揚げ物として食用にも用いられます。 館山から洲の崎灯台を経て千倉に至る外房のフラワーロードには 17kmにも渡る菜の花の道が続きます。開花時期は2〜5月頃。 |
江戸時代末期にオランダ人によって持ちこまれたいちごは 、当時「オランダいちご」と呼ばれていました。 それ以前にも、日本では野生のいちごは 食べられていましたが、 それらはオランダいちごとは比べ物にならないほど小さく、 そのため、大きなオランダいちごは毒があるのではないかと疑われ 、あまり食べる人がいなかったそうです。 ビタミンCの含有量が多く、美容や健康に大変効果的な 果物とされています。 栃木では女蜂いちごが主流ですが、 とちおとめという栃木独自の品種も栽培されています。 |
♪まさかりかついだ金太郎〜でご存知の金太郎。 まさかりを担いで、クマに乗り、 腹掛けをした力持ちの子供です。 出世、剛健、武勇などを象徴し、男子の守り神的名存在でもあります。 金太郎は源頼光の四天王の1人であった坂田金時が モデルだと言われています。 足柄市にある「夕日の滝」は、金太郎が産湯を使い、 のちに源頼光との契りを結んだ地だと言われています。 |
言わざる | 黒たまご | あじさい |
日光東照宮の神厩舎(神に仕える馬のための厩)の 欄干に有名な三猿があります。 向かって左から、耳をふさいだ聞かざる、口を押さえる言わざる、 目をふさぐ見ざるの3匹の猿が並んでいます。 この彫刻は全部で8枚あり、物語になっているそうですが、 その内容にはさまざまな解釈があるようです。 猿は馬の病気をふせぐとされており、 室町時代までは厩で猿を飼う習慣もあったようです。 |
約3000年前の箱根火山の最後の爆発の際に出来た 神山火口が大涌谷と呼ばれる所で、 荒涼な大地にもくもくと白煙が立ち上り、 硫黄のにおいが立ちこめている場所で、 江戸時代まではその景観から「地獄谷」と 呼ばれていたそうです。名物の黒たまごは、 1個食べると7年寿命が延びると言われています。 温泉で茹で、さらに蒸しあげて作るこの黒たまごは、 温泉の成分である硫黄と鉄が反応して酸化鉄となり 卵の表面が黒くなるのだそうですが、 殻をむくと中は普通の白いたまごです。 |
あじさいは、アジサイ科、アジサイ属の落葉低木で 6〜7月頃開花します。 鎌倉にはあじさいで有名な東慶寺、明月院、成就院、 極楽寺などの寺院がありますが、 中でも明月院は別名「あじさい寺」と呼ばれる程の あじさいの名所です。 明月院のあじさいは、 そのほとんどが「姫あじさい」という品種のもので、 最盛期にはあざやかな青色の2000株ものあじさいが 咲きほこります。 |
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